「すべき思考」はストレスのもと!
「すべき思考」とは?
ストレスのたまりやすい考え方のひとつ
すべき思考は、精神医学の専門家であるスタンフォード大学のデビット・D・バーンズ氏が提唱する『10種類の認知の歪み』というストレスのたまりやすい考え方の一つに挙げられています。
すべき思考はだれでもしている行為
すべき思考は「あれをしなければならない」「これをしなければならない」と考えることです。この行為は誰でも多かれ少なかれしていることです。
社会には守るべきルールがある、果たすべき責任があります。それらの義務を果たすためにはある程度のすべき思考は必要です。
でも世の中には過剰なまでにすべき思考にこだわる人がいます。そういう人は常にやるべきことについて考えているためストレスが溜まってしまいます。
過剰なすべき思考の人の問題
1、ストレスがたまりやすい
すべき思考は楽しい行為ではありません。多くの場合、精神的ストレスを感じる行為です。すべき思考というのは自分を自分でルールで縛る行為だからです。自分で自分をルールで縛って、自分の自由を奪う行為だからです。だからストレスを感じるのです。
人は自由を奪われればストレスを感じます。すべき思考の過剰な人はそのストレスを感じる行為を常にしている状態なのです。だから普通の人よりストレスが溜まるのです。
ストレスが溜まりすぎれば、病気になったり、疲れを感じやすくなったりしてしまいます。
2、すべきことを優先してしまう
すべき思考の過剰な人はしたいことよりすべきことを優先してしまいます。遊んでもいい場面でもすべきことを優先し、休んでも良い場面でもすべきことを優先してしまいます。 どんなときでもすべきことを優先してしまうのです。
すべき人の中ではルール、スケジュール、マニュアル、常識、マナーなどが優先するものであり、自分の願望や欲望は後回しにするものなのです。
疲れて休みたくても過剰なすべき思考な人はすべきことを優先してしまうのです。
3、視野が狭くなる
すべき思考が過剰な人は、視野が狭くなって周りの状況がよく見えなくなって、自分よがりな「べき行為」をやり続けてしまうときがあります。
人にはひとつのことに執着しすぎると周りが見えなくってしまうことがあります。すべき思考過剰な人はその状態に陥りやすい。すべきことに執着しているからです。
なぜ過剰なすべき思考に陥るのか?
理由1・過剰な完璧主義者
過剰な完璧主義者の中にはルールを完璧に守ろうとする人がいます。この人の中でルールを守らないことは完璧ではない状態です。そんな完璧でない状態に耐えられない過剰な完璧主義者は常に完璧でいるためにルールを守りつづけます。どんな状況でもルールを守り続けようとします。調子が悪くても、状況が悪くてもルールを守り続けようとします。自分の完璧主義を貫くためルールを守り続けます。
完璧主義者にとって何事も完璧にすることが理想の生き方です。そんな理想を達成するため完璧主義者は完璧を求め続けるのです。
理由2・マジメな人
マジメな人は規範意識が強いです。さらに責任感も強いです。そのため過剰なすべき思考に陥りやすいです。
マジメな人の中には遊ぶこと、休むことが悪いことだと感じる人がいます。そういう人はただマジメな人より過剰なすべき思考に陥るリスクが高いです。
理由3・劣等感を感じやすい
ルールを守らないと劣等感を感じる人がいます。ルールを守れない人間は劣った人間という考え方がこのタイプの人の中にはあります。そのためルールを守らないと罪悪感を感じてしまうのです。
競争意識の強い人は劣等感を抱きやすい。
他人と自分を比較する頻度が多い人も劣等感を抱きやすい。
承認欲求が強い人も劣等感を抱きやすい。
理由4・罪悪感を抱きやすい
罪悪感を抱きやすい人も過剰なすべき思考に陥る可能性が高いです。
だれかの期待に応えたい、誰かを悲しませたくないという気持ちが強い人ほど罪悪感を抱きやすくなります。罪悪感を抱きやすい人ほどすべき思考をしやすくなります。ルールを守らないと誰かを失望させたり、悲しませたりする可能性があるからです。
理由5・気が弱い
ルールを守らないと怒られる場合があります。守らなかったルールによっては重い罰をうけなければならない場合もあります。
気が弱い人にとって誰かに怒られることも罰を受けることも恐ろしいことです。そんな恐ろしいことを考えただけでも気の弱い人は恐怖を感じてしまいます。その恐怖が強い人ほどルールをしっかりと守ろうとします。
過剰にルールを守ろうとしたり、過剰にすべき思考をする人の中にはルールを破ることを過剰に恐れる人がいます。
6・承認欲求が強い
承認欲求が強い人の中にもすべき思考が過剰な人がいます。
そういう人の中では、ルールや社会的義務を守ることによって他人の評価を得て承認欲求を満たそうという気持ちが強いため過剰なまでに義務や責任を優先してしまう傾向が強くなります。そういう傾向が強い人はすべき思考も過剰になります。承認欲求が強い人ほどすべき思考も酷くなります。頭の中、四六時中、すべき思考に支配されてしまう人もいます。
「べき習慣」の人が陥りやすい思考
1. 全か無か思考 (白黒思考)(二択思考)
ものごとを白か黒かでしか考えられない。
ものごとを0%か100%かでしか考えられない。
そういう極端な思考をする人がいます。1~99%を無視して0%か100%にばかり目を向けてしまう人のことです。完ぺき主義の人の中にこの思考の人が多いです。
人のする行為は、大概は1~99%の間で成り立っていることが多いです。
たとえば学校のテスト。テストは常に100点を取れるものではありません。どんな天才でもテストの難易度が上がれば100点を取るのは難しくなります。でも、白か黒か思考しかできない人は常に100点を目指します。自分の体調や能力、テストの難易度、環境などを無視して100点を目指します。そしてその結果、100点を取れなかったら本気で悔しがります。
上記の過剰な白黒思考の人は100点以外の点数は価値がないと思っています。そのため自分が満足するには100点を取るという選択肢しか残されていません。100点を取ることでしか自分を満足させられないからです。
こういう極端な考え方をする人には完璧主義者が多いです。100点は完璧。それ以外の点数は不完全。それが完璧主義者の考え方です。過剰な完璧主義者はこの考え方に固執します。なんでも100点を目指して努力します。そして100点を取れないと本気で悔しがります。
残念ながら常に100点を取るのは不可能です。子供のうちは100点を取るのは簡単かもしれません。でも大人になるにしたがい100点を取るのは難しくなります。さらに大人になって社会にでればさらに100点を取るのは難しくなります。
さらに人間関係、恋愛など点数をつけるのが難しい問題もあります。強引に点数をつけることはできますが、やはり人間関係や恋愛でも常に100点をとるのは難しいです。ときに人間関係、恋愛はテストで100点とるより難しい場合もあります。
そんな難しい問題が存在する世の中で100点をとりつづけるのは不可能です。でも過剰なすべき思考、過剰な完璧主義者は100点を目指します。そして100点を取れないと悔しがります。100点以外の点数は認めることができません。
過剰なすべき思考、過剰な完璧主義者は以上のようなつらい人生を送る場合があります。
●過程を無視して、結果ばかり求める
白黒思考しかできない人は過程を無視して、結果ばかりに固執してしまう場合があります。過程より結果が大事という極端な考え方が頭の中にあるからです。
ボクは結果も過程も大事だと思っています。大人になれば結果が求められるし、結果を出さなければ受験に合格できないし、就職試験も合格できません。だから結果は大事です。
でも受験のために勉強をしたという過程も何かを手に入れるためにがんばったという過程も大事だと思います。その過程でしか手に入れられないものがあるからです。たとえば受験勉強の過程では知識を得ることができますし、勉強の仕方も身につけられます。さらにストレス解消法も身につけられます。勉強会などを友達と開けば、思い出もできます。このように過程にもさまざまな価値があるのです。
でも結果だけが大事という極端な考え方をする人は過程にある価値をすべて否定してしまいます。それはとてももったえないことだと思います。自分の心を豊かにしてくれる価値を否定してしまっているからです。
極端な考え方は大事なもの、価値あるものを否定してしまうリスクがあります。
2. 一般化のしすぎ
「みんながやっていることは何がなんでもやらなければならない」と思う傾向が強い人のことです。みんな(社会の人々)の多くがしていることは自分もしなければいけないという気持の強い人です。
多くの人がやっているからと言って自分もしなければいけないという先入観がそう思わせています。一度自分のしていることは本当にやる必要があるのか考えてみてください。きっとみんながやっていても自分はやらなくてもいいこともあるはずですよ。
たとえば「男は度胸」「女は愛嬌」という言葉があります。この言葉を素直に解釈すると「男性は全員度胸がなければならない」となるし、「女性は全員愛嬌がなければならない」となります。
この解釈を読んで、ほとんどの人が何言ってんだ!と思ったはずです。でも、中にはこの「男は度胸」「女は愛嬌」という言葉を鵜呑みにして実践しようとする人がいます。実際にこの言葉通りに生きている人もいます。
別にそういう生き方を否定しているわけではありません。ただ、僕が言いたいのはすべての人がこの言葉通りに生きる必要はないということです。
人には個性があります。当然、自分に適した生き方と自分に適さない生き方があります。なのに世の中には自分の適さない生き方をしている人がいます。
たとえば別に度胸のある生き方をしたいわけではないのに「男は度胸」という言葉を鵜呑みにしてその生き方を実践している男性。愛嬌なんてふりまきたくないのに「女は愛嬌」という言葉を鵜呑みにして、その生き方を実践している女性。そういう人たちがいます。
彼らは無理をして、「男は度胸」「女は愛嬌」の言葉を実践しています。こんな生き方したくないのに、言葉通りの生き方をしようと日夜努力しています。こんな生き方がこの人たちにとって適した生き方だとは僕には思えません。この言葉の呪縛から解放され、自分らしい生き方を模索するべきだと僕は思います。
ここで僕は「模索するべき」という言葉を使いました。ここで使った「べき」は自分にとって「有益なべき」だと僕は思ったので使いました。自分に「有益なべき」は「使うべき」だというのが僕の持論です。
でも、世の中には自分に無益なべきに縛られている人が多い気がします。一度、「自分のべき」を検証してみてください。過度の一般化していないか検証してみてください。
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3. 他人にどう思われているか考えすぎ
相手の期待に応えたいと思うのは、自然なことです。でも過剰なまでに期待に応えようとするのは普通ではありません。過剰なまでに他人の期待に応えようとする人の中には、なにか問題があるケースがほとんどです。
自分の心や体を壊さない範囲で期待に応えるなら問題ありません。でも過度に期待に応えようとする人は自分の心や体を壊してでも期待に応えようとしてしまいます。
期待に応えることは大事なことです。でも、期待に応えるより自分の心や体のほうが遥かに大事です。周りの人たちは、いつでもどこでもその人たちは無責任に期待を抱くことができます。一日のうちに何百回も期待を抱くことも可能です。でも、期待を応える人の体も心もひとつしかありません。たったひとつしかない大事な心と体を周りの人たちの中に生じる無数の期待に応えるため使うのは無謀だと僕は思います。
そんな無謀な生き方をしないために、他人にどう思われているか考えすぎるのはやめましょう。他人の期待に常に応えようとする姿勢をやめましょう。
4.拡大解釈と過小評価
自分の失敗や悪いところを必要以上に考え、自分の成功や良いところを極端に小さく考え、あるいは他人の場合はその逆に考えることありませんか?あると思った人の中にこのこの考え方が習慣的になっている人はいませんか?
たとえば、自分が失敗をしたら『失敗ばかりのわたしは無能だ』と考えるのに、
他人が失敗をして落ち込んでいたら『そんな失敗たいしたことないさ』と励ますというような人いませんか。自分には厳しく、他人には寛容という人いませんか?
そういう人たちは「べき思考」に支配される可能性が高いです。自分のミスを許せない人だからです。「自分はこんなミスをするべきではなかった。もっと上手にできたはずだ。あいつならもっと上手にできたはずだ。それなのに俺は・・・」という考え方をして、自分を責めてしまいます。後悔と屈辱に苛まれます。こんな生き方をしていたらそのうち燃え尽きてしまいます。
燃え尽きないためにも正しい評価ができるようになりましょう。自分を褒める習慣を身に着けましょう。
以上のような思考パターンがある人は注意しましょう。
「すべき思考」の回数を減らす方法
「~すべき」という考え方を変える
「すべきだ」という考え方はプレッシャのかかる考え方です。だからまず「~すべきだ」と考える癖を直しましょう。
「すべきだ」と考えそうになったら「したほうがいいかも」「したほうがお得かも」と軽いニュアンスの言葉を考えるようにしてみましょう。そうすれば心にかかる負担が「すべき」と考えたときより軽くなります。
それに「すべきだ」という考え方は自分を強制する考え方です。その考え方は自分の自由を奪う考え方です。絶対失敗できないことなどではそういう考え方が必要かもしれません。でも常にその考え方で自分の自由を奪うのは問題があります。そんな生き方を続ければ人生が牢獄のように不自由なものだと感じるようになってしまいます。
そうならないためにも「すべきだ」と考える回数を減らしましょう。
●自分の希望・願望を大事にする
「すべき思考」は、自分の希望や願望を無視する傾向が強い生き方です。そんな生き方を続けていれば人生がむなしいと感じるようになってしまいます。
そうならないためにも「すべき思考」の回数を減らす必要があります。ときには「すべき」ことより自分の希望・願望を優先させることを意識する時間を作りましょう。
たとえば疲れていたら「テスト前だから勉強すべき」と考えるのではなく、「疲れてるから休もう」と自分に優しい選択をするようにしましょう。
●大事なのは「すべきこと」と「したいこと」のバランス
すべき思考自体は悪い思考法ではありません。問題なのはその思考法ばかりを多用することです。「すべきこと」ばかりを考えていれば当然、「したいこと」を考える余裕がなくなります。「したいこと」を考える余裕がなくなるほどに「すべきこと」が頭の中を支配していきます。その状態は思考バランスが崩れている状態です。
人が人らしく生きていくためには「すべきこと」と「したいこと」のバランスが大事だと僕は思っています。そのバランスが悪くなるほどに問題が生じるリスクが高くなると僕は思っています。
栄養バランスが悪ければ体に問題が生じるように思考バランスも悪ければ体や心に問題が生じる。
運動ばかりして勉強をしなければ心や体に問題が生じるように勉強ばかりして運動をしなければ心や体に問題が生じるように「すべき思考」ばかりして「やりたい思考」をしなければ心や体に問題が生じる。僕はそう思っています。
だから「すべき思考」と「やりたい思考」のバランスをとる必要があると僕は思っています。
すべき思考の回数が多い人はやりたい思考の回数を多くしてみましょう。やりたい思考の回数が多い人はすべき思考の回数を多くしてみましょう。
「べき思考」「べき行動」が必要ないときをノートに書いてみよう
確かに人生にはしなければならないことがあります。ですが、なにもかもしなければいけないということはありません。
たとえば休みの日、休みは休むためにある日です。そんな日にストレスを感じる「べき思考」「べき行動」をしていたら休みの意味がなくなってしまいます。
「べき」が必要ないときはかならず存在します。
そういうときを発見してください。それをノートに書いておいてください。それをときどき見直してください。そうすれば「ああ、こういうときは「べき」にこだわらなくてよかったんだ」と思い出すことができます。
ノートに書き、見直す。それを少しずつ繰り返してみてください。そうすれば「べき」の必要のないときの知識が頭の中に蓄えられていきます。その知識が増えれば増えるほどに極度な「べき思考」「べき行動」から解放されていきます。