【怖い話・まとめ】「噂の公衆電話」「事故物件じゃない」「四十七窯」
「噂の公衆電話」
私が中学生の時。
馴染みの友人2人と家に集まって、オールの勢いで他愛のない会話をしていました。
その際に誰からともなく地元で話題の「出る」という公衆電話の話になったのです。
友人宅から歩いて30分かかるかどうかの距離で、住宅街から少し外れた場所にポツンとあり、遠目から見ると何の変哲もない公衆電話。
これに何故か突然「出る」という噂が広まっていました。
「本当に出るのか見に行こうぜ。」
話題に飢えていた私達でしたから、勢いで突撃してみる事にしたのです。
時刻は深夜2時くらいだったでしょうか。
こんな時間ですから、公衆電話までの道のりは誰にも会う事なく到着です。
暗闇に浮かび上がる公衆電話はそれだけでも不気味で、本当に何かが出そうな雰囲気はありましたが…特に異変はありません。
そこで中も調べてみようと近づいた時でした。
「おぉぉ!て!て!」
友人の1人が大きな声を上げて私達の腕を引っ張り、来た道を猛ダッシュで戻ろうとしたのです。
何が起きたのか分からないまま、私達は駆け出して最寄りのコンビニへ雪崩込みます。
一体何があったのか、急に大声を上げた友人に話を訊きました。
「お前達見えなかった?!公衆電話の受話器に手だけくっついてたよ!」
そう言われても、見たのはその友人だけ。
本当に見たと震えあがる友人を横目に、私ともう1人はすっかり興覚めです。
「そんな演出とかいらないって。」
「いや手だけあったんだって!マジで!」
そんな押し問答をしていると、手を見たという友人の電話が一瞬鳴りました。
取り出して画面を見たその友人は、青い顔をして画面を私達の方へ向けてきます。
え?と思って見ると、そこには
不在着信 公衆電話
と表示されていました。
更に信じられない事に、私達の携帯にも公衆電話からの着信が来たのです。
所謂ワンギリというもので、すぐ切れるので通話は出来ません。
それが数分くらいのタイミングで、何度も私達の携帯へかかってきます。
これはマズいと感じた私達3人は携帯電話の電源を落とし、友人の家へ戻ってゲームや馬鹿な話で場を繋ぎ、そのまま朝を迎えました。
日が昇って恐る恐る携帯電話の電源を立ち上げましたが、その後は一度も公衆電話からの着信はありません。
この話をしても誰も信じてくれず、公衆電話の出るという噂もしばらくして聞かなくなりました。
手を見たという友人の話は本当なのか分かりませんが、公衆電話からワンギリがかかってきた恐怖は今でも忘れられません。
そもそも何の前触れも無く、なぜ突然その公衆電話に出るという噂が流れたのでしょうか…。
「事故物件じゃない」
幼い頃から不思議な体験をしてきた私は、空室掃除の仕事を手伝う羽目になりました。
家業なのである程度の裁量があるものですから、特に嫌な気配がする部屋はパートさんやアルバイトに割り振ります。
申し訳ないな、とは思うのですが、見えてしまったら面倒なんです。
これはそんな私が行き当たった、とあるマンションの一室の話です。
「事故物件じゃないけど、住人がよく変わる部屋。」
予め不動産屋から、そう説明がありました。
5階建の3階部分。
予定通りの時間に作業を終え、いつものように最終点検をしていると「夕焼け小焼け」のメロディーが外から聞こえました。
17時の合図でしょうか。
掃除完了の電話をしているとガタゴトと微振動があり、カンカンと遮断機が降りる音もします。
冬なので外は既に暗く、暖房がない部屋は底冷えがします。
清掃道具を通路に出し、廊下で夫の迎えを待ちました。
師走は忙しいので、1人で1部屋の清掃を任される事もあります。
しばらくすると、不動産屋と夫が2人で来て引渡し完了です。
「何か異常はありませんでしたか?」
不動産屋の問いに何も無いと答えると、世間話が続きます。
「この部屋の住人は、過去3人鉄道事故で亡くなっています。まぁ事故物件ではないんですけどね…そういう部屋なんです。」
夫が怪訝な顔で問います。
「ほぉ、鉄道事故というと…自殺ですか?どこで?近くに鉄道ないですもんね。」
そう、このマンションからはバスに乗らないと駅に行けない。
でも私は部屋で電車特有の細かい振動を感じたし、さらには遮断機の警報音も聞いた。
「それが、原因不明なんですよ。人目の多い明るい時間だったり、買い物帰りだったりで」
私には検討がついた。
ふとした瞬間に、発作的に背中を押す者が棲む部屋。
過去に3人。でも、誰に言う?
事故物件ではないから、私は「引継ぎ事項無し」へチェックを入れたんです。
事故物件ではないから…。
「四十七窯」
私の地元は田舎ではありますが、都会から数時間の距離にあります。
駅周辺はまだ少し栄えていますが、10年の間に田舎離れが進み閑散としています。
私は趣味で民話を集めたり歴史を調べたりしていますが、地元でもあまり知られていない不思議な場所が気になっていました。
そこは地元の街を流れる「四十七窯(シジュウシチカマ)」という所です。
地名なのか分かりませんが、地元の歴史書で一度だけ目にしたのでそう呼んでいました。
窯の字はひょっとすると鎌か釜かもしれません。
久しぶりにあの場所に行ってみたいと思い、実家へ話をしました。
兄は「そんな所あったかなぁ」と言っていたのですが、話すうちに思い出したようです。
実家に到着するとすぐに、兄が車を出してくれました。
私は橋の上から川を見下ろし「あの辺りだ」と指差しました。
5歳の時、私はこの場所で不思議な体験をしたのです。
夏の日に、その辺りで泳いで遊んでいたら溺れかかったことがあります。
早い流れに浮き輪ごとひっくり返ってしまいました。
もがけども浮き輪が邪魔をして、体勢を戻せません。声も出せなくて、もうダメだと諦めた時にふっと体が浮上しました。
昼間だった筈が、辺りは暗闇に包まれていました。
なんとか川から上がると、向こうに焚き火が見えます。焚き火に近づくと、薄い着物1枚羽織っただけの老婆が火にあたっていました。
「おや、お前はどこの子だ?」
私はすぐ上の町に家があると言い、名前を名乗りました。
老婆は「ダツエバ」だと名乗り、私を膝に抱いて服を乾かしてくれました。
「お前はちっとも怖がらないな。あの悪ガキの親父にそっくりだ。」
老婆は歯のない口を開いて笑っていました。
「お前を今日は助けてやるが、20年後には命を取るぞ。」
そう言われましたが、20年後がどれ程か良く分からなかったので黙っていました。
そのうち父親と兄の声がしました。
気がつくと辺りは昼間に戻っていて、夏のカンカン日差しの炎天下でした。
あの時の私の記憶はなんだったのか。
そこから20年はとっくに過ぎています。
ダツエバの名前は随分経ってから、三途の川にいる老婆だと知りました。
夢か妄想だったとして、人は知らないことを思い浮かべられますか?
命はまだ続いています。ただ末期癌が見つかり、死の宣告を受けました。
ずっと心に残っていた四十七窯に行って、またダツエバに会いたい!
今回の帰省は藁にもすがる思いでした。
「もう少しここにいたいから。」
私がそう言うと、兄は後で迎えに来ると約束してその場を離れました。
あの体験はなんだったのか。
川を眺めて取り留めもなく考えていると、水面が白く泡立って寒気に襲われ、立ちすくみました。
目の前に、幼い頃見たあの老婆が立っていました。
「おぉ、とうとう死んだか?」
「まだピンピンしてますよ。」
「ピンピン?お前はもう死んだのだ。あとは余生だ。おばばを恐れなかったから返してやった。」
「え?でももうすぐ死んじゃうかも。」
「挨拶に来たのだから生かしてやろう。」
この再会から月日は流れ、私はまだ生きています。
ガンは克服したものの脳梗塞で2回倒れて、階段から3回も落ちました。
生きているのが不思議なくらいですが、なぜか後遺症も無く歩いて食べて、時には旅行にも行きます。
もう少し生き長らえて、また四十七窯でダツエバに会うのが今の私の目標です。
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