【怖い話】オルゴールの音色。曲はディズニーの「It’s a small world(小さな世界)」

日常生活の中のちょっとした出来事。それにほんの少しだけ深入りしたせいで、怖い目に遭ってしまう。これはそういうお話である。

Gさんが仕事の都合で引っ越し、マンション暮らしをはじめて1年経った頃のことだ。

「彼女もいない一人暮らしでしたけど、その分かなり気楽ではありましたね」

平和だし、騒音もなく、迷惑な近隣住民もいない。いい環境だな、と感じていた。

街での生活にも慣れてきたなと思った1年目のあるとき、妙なことが起きた。

「オルゴールがね、聞こえてきたんですよ。どこからか…………」

最初に聞いたのは──いや、実はもっと前から流れていたのかもしれないので、正確には「気づいた」だが──Gさんが夜、寝ようとしていた時だったそうだ。

エアコンが苦手なので窓を開けて、ベッドに横たわっていた。

風に乗ってかすかに、かすかにそれは聞こえてきたという。

テテ テンテンテン…… という柔らかな響きで、すぐにオルゴールだとわかった。マンションの隣室や上下の階ではない。外のどこかからである。彼は高層階ではなく低い階に住んでいた。なんとなく、この部屋から少し距離がある場所のように感じる。

あぁ、誰かオルゴールを鳴らしてる。夜だけど、誰かヒーリング目的で聞いてるのだろうか。はてこれは、何の曲かな…………

曲は、数秒聞いていてすぐわかった。ディズニーの「It’s a small world」、「小さな世界」というやつだ。

『世界中どこだって 笑いあり涙あり みんなそれぞれ助け合う 小さな世界……』
(訳:若谷和子)

うろおぼえだけど、確かこんな感じの歌詞だったっけ。

そんなことを考えているうちに1番の終わり、「世界はまるい ただひとつ……」まで曲が進み、オルゴールの音色は止んだ。

……ネジを回すやつでもフタを開けるやつでも、普通はネジが終わるまで鳴ってるもんだけどなぁ。1回だけ聞いて満足して、フタを閉めたのかな。でもオルゴールを1回こっきり聞いて満足、って、あんまりイメージできないけど……

しっくりこない気もしたが、単なる日常生活のひとコマでしかない。特に気にも止めず眠りについて、記憶の底に埋もれてしまったという。

それから1週間も経たないうちだった。

夜中に目が覚めた。

部屋の中も、例によって少し開けてある窓の外も真っ暗だ。深夜の2時か3時かと思われた。
どうしてこんな時間に、理由もなく目が覚めたのかな。

そう思う間もなく、外からまた テテ テンテンテン…… と、「小さな世界」の音色が耳に届いた。
あぁ、また誰かがオルゴールを鳴らしてる。Gさんはベッドの上で考えた。こないだは気づかなかったけど、これ、生音だなぁ。スマホとかスピーカーじゃなくて、オルゴール本体からしてるやつだぞ。俺が目覚めたのを見計らったように鳴るなんて、おかしなこともあるもんだなぁ……

寝起きの夢見心地のままトロトロと考えているうちに、ふとわけもなく、こう思ったという。

…………これって、どこから聞こえてくるんだろう?マンションの敷地内、じゃないなぁ。目の前の道路……でもなさそうだ。もうちょっと遠いな。でもそんなには離れてないぞ。

そうだなぁ、道路を渡って、公園があって。そうそう、ちょうど公園の、真ん中あたりから聞こえてくる、って距離感だな。うん、これは公園の中で鳴らしてるんだ…… でもこんな夜中に、公園の中でオルゴール…………
こんな考えを巡らせているうちに、オルゴールはまた「世界はまるい ただひとつ……」まで鳴り終わって、ぱったりと静かになった。

突然だった。Gさんの部屋のクローゼットの中から テテ テンテンテン…… とオルゴールが鳴りはじめた。
「それがね、上から布をかぶせたような、にぶくて、くぐもった音で……」

もちろん彼の部屋にはオルゴールなどない。そういう音源もない。そもそもクローゼットの中に音楽を流すようなものは何も入れていない。

びくっ、として掛け布団をつかんだが、冷静に耳をすませた。これは、隣の部屋から聞こえてきてるんじゃないか?

十秒ほど息を詰めて確かめた。だがやはり、「小さな世界」は自分の部屋のクローゼットから聞こえてくる。間違いなく。

電気をつければよかったものの、判断力が鈍っていた。それに窓から月明かりが入ってきていた。

ゆっくりと、寝床から降りて、クローゼットに近づいていく。

この中に、何が入っているのか……いや、何も入っていないことを確認しなければ、怖くて寝つけない。
 放っておいてまた鳴り出したら怖い。今度は聞こえ方が違っていたりしたら、と想像するともっと怖い。

足音を殺しながら移動しているうちに、オルゴールはまたもや「ただひとつ……」までを鳴らし終えた。
部屋の中が死んだように静かになった。

Gさんはクローゼットの、観音開きの扉の取っ手を両手で掴んだ。それから一気にグイッ、と開けた。

女が立っていた。掛けてある洋服をかき分けるようにして、女の後ろ姿があった。

「えっ」

Gさんが言葉を失っていると、女はくるり、とこちらを向いた。

女はひどくのっぺりとした、無個性な顔立ちだった。街ですれ違ってもすぐ忘れてしまうようなタイプだった。なんの表情も浮かんでいない顔だった。死んだ魚のような目がGさんを見つめている。

女と目が合ったような気がした。

すると、特徴のない目と鼻の下にあった口が、いきなりパカッと大きく開いた。

「せかぁいーじゅーうぅー どこだぁーあってー
 わらいぃーあーりぃー なみぃだーあーりぃー」

女は、「小さな世界」を大声で歌いはじめた。

腰を抜かしそうになってよろめいたGさんを尻目に、女は無表情のまま口を大きく開けて歌い続ける。

「みぃんなーそぉれぞーれ たぁすぅーけあうー
 ちいさぁなぁー せぇーかぁーいぃーーーー」

Gさんは扉を閉める余裕もなく、クローゼットの前から逃げた。

なんなんだ。誰なんだこの女は。どうして俺の部屋にいるんだ。

混乱する彼のすぐそば、クローゼットの奥から女の歌声は続いている。

「せぇーーかいーーはーーー せーーーーまいーーーー 
 せぇーーかいーーはーーー おぉーーーなじぃーーーー」

Gさんは寝巻きのまま玄関に走った。スマホも財布も持たなかった。家の鍵だけを握って部屋を飛び出た。

「せぇーーかいーーーはーーー まぁーーるいーーーー…………」

廊下を走り外階段を駆け下りて1階まで行き、外に出て、道を走った。
自動販売機がいくつも並ぶ道端で、Gさんはようやく立ち止まった。目がちらつくような強い明かりが、

今はありがたかった。

「…………はぁ……っ? …………ええっ…………? なんで…………? ……なにあれ……? ちょっと…………マジで…………」

飲み物の見本が並ぶあたりに手を置いて息を切らせながら、彼はかすれた声で途切れ途切れに言い続けた。混乱しきっていた。

自分の住んでいた部屋が事故物件だなんて聞いていないし、不審な出来事だってなかった。近所で事件や事故も起きてない。

祟られるようなことをした記憶もゼロだ。いつもの日常だ。あのオルゴールの音色以外は…………

越してきてまだ1年である。職場に友人知人はいたが、深夜に転がりこめるような間柄ではまだない。

財布もスマホも置いてきてしまったので彼は仕方なく、自動販売機周辺の明るい道端で、夜が白むのを待った。

オルゴールや歌声が聞こえてきたり、女の姿が現れるのではないかとビクビクして過ごした。
人生でいちばん長い夜だったかもしれない、という。

「明け方、もう大丈夫だろうと思って部屋に戻りました。もしかしたらほら、夢だったかもしれませんし……」

部屋は、逃げ出してきた時から変化していなかった。クローゼットも開いたままだった。

少なくとも自分がここを開けたことは、動かしようのない事実であった。

夜明けの朝日が窓から射し込む中、彼はそっと、クローゼットを覗いた。

そこには誰もいなかった。服も荷物も、一切乱れていなかった。

Gさんは寝不足と精神的疲労を抱えたまま、その日は仕事に行ったのだという。

「そこのマンションって、管理人さんが常駐してないんですね。で、週2くらいで管理人の関係者のおばあさんが、掃除に来るんです」

数日後の朝、そのおばあさんに行き会った。

この間のあれについて尋ねてみたい、とGさんは思った。しかし、「部屋に女の幽霊が出て歌を歌った」などと言って信じてもらえるはずもない。

おはようございます、と挨拶してから、おもむろにこう言ってみた。「あのぅ、この辺で、夜なんですけどね」

「はいはい」おばあさんは愛想よく返事をする。

「なんだろうなぁ、オルゴール? の音がしてくるんですよね」

「あぁー、それねぇ。オルゴールの曲ね。あなたも聞いたのね?」

「あっ、以前からそうなんですか?」

「そうそう、いつからなのかはわかんないんだけど」おばあさんはいつものほのぼのした口調で答える。

「あれねぇ、季節とか時期によって曲が変わるんだよねぇ」

「えっ? ……あぁ、そうなんですね…………」

曲が変化すると聞いて少し驚いたが、どうにかごまかした。

「いや、真夜中に聞こえてきたもんで、あれって何なのかな、って思いまして」

「あー気にしなくてもいいから。『なんかオルゴール鳴ってるなー』って思ってればすぐ止むから。すぐ止んだでしょう?」

「そうですね、1番っていうか、一回鳴ったら終わりましたね」

「うんうん、うるさくないでしょ全然。ちょっと聞こえるだけね」

「えぇ。えぇ。かすかに聞こえるだけなので、耳障りではないんですけど」

「あれ、どこからかなって思わなきゃいいから」

「…………どこから?」

「これ、どこからかなー、って思うと、よくないからね」

「…………あのつまり、どこから聞こえてくるのか、って考えると…………」

「あーもうダメダメ、それ考えちゃうとダメ。場所、気にしちゃダメ」

「……………………」

「あとは大丈夫だから。なんともないやつだから。ね!」

そういうことは早く言ってほしかった、とGさんは哀しく思ったそうである。

「…………それからねぇ」これで終わりかと思いきや、彼はまだ話を続けた。
「後で気づいて、いちばん怖かったことがあるんですよ」

彼の部屋のクローゼットは、真ん中に上下を分ける仕切り板が一枚入っている。上にはスーツや私服を掛けて、下段には衣装ケースや雑貨を詰め込んでいるというのだが。

「歌ってた女はね、最初俺、『クローゼットの中に立ってた』って思ったんですよ。でも無理なんですよね。下段には荷物があるし、仕切り板があるんですもん。だから……あの時は瞬間的に『女が立ってる』って判断したんですけど、もしかしたらあの女って、仕切り板から上の、上半身しかなかったんじゃないか、って…………」

暗いクローゼットの中にいた女の特徴のない顔は思い出せるのに、体がどうなっていたのかは思い出せない。

Gさんは、それがとても怖いんです、と語るのだった。

彼はまだ、そこに住んでいる。 夏や冬はもちろん、春でも秋でも、夜になったら窓をピッタリ閉めるようにしている。オルゴールの音色が、できるだけ聞こえないようにしているのだそうである。

Posted by takahashi